残念そうな顔のマレク

妹、coroがマレクを描いてくれました。ありがとう!
あの服がUNIQLOに見えるんだそうです。あと、色がイモで染めたように見えるそうな。「お前の服イモで染めたんだろー」といじめられてしまうんだそうです。

DVD4巻の恩田絵マレクを参考に渡したら、「残念そうな顔に見える」とも言っていました。
残念そうな顔…その発想は無かった! でもかわいい。

ジョセフが召喚されました

あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ – ブラスレイター コンシート

SS投下スレ「あの作品のキャラがルイズに召喚されました」のまとめwiki。
『ゼロの使い魔』の世界にジョセフが召喚されていた。
面白かった。ゼロ魔はまだ読んだ事はないけれど、いっぺん読んでみようかな。
それにしてもジョセフ、殺されそうになってもその運命受け入れるのか。少しは執着しろよ自分の命(涙
まだ途中までみたいだけど、続きはそのうち投稿されるかな?

しかしこのスレ、面白いな。
探してみたら沙耶とかデモンベインもあったよ。

他の作品も読んでみた。
趣旨としてはスレタイ通り他の作品のキャラがルイズに召喚されたという状況で話が進むのだけど、進め方もいくつかのパターンに大別されるようだ。
作品の中には、いくつか共通する形式を持った話が見受けられた。デモンベインの九朔、ローゼンメイデンの水銀燈などの話は「召喚される→契約する→ルイズの部屋で眠りにつく→シエスタと会い食堂へ行く→デザートを運ぶ→ギーシュと決闘を行う→(続く」といった話の流れになっている。どうやらこれらは原作「ゼロの使い魔」の筋を踏襲しているものらしい。
一方で、原作とは違ったものとなる展開もあるようだ。ジョセフは契約そのものがなされておらず牢に入れられっぱなしのうちに融合体騒ぎが起こっているし、沙耶などは「沙耶の唄」の方の話の流れを踏襲している。ルイズが郁紀と同じ感覚障害を煩ったり、登場人物が無惨な死を遂げる陰鬱な話は沙耶の唄の方から由来するものだろう。
また、九朔の方も話の形式は「ゼロ魔」準拠となっているようだが、語り口や文体はデモンベインのそれであったりするところも楽しい。つーか凄ぇよこの人。鋼屋氏本人か?ってぐらい上手い。

まだ一部の話を読んだだけではあるが、こういった形式の二次創作はあまり読んだ事が無いのでなかなかに興味深い。

反魂剣鬼

なぜか今、鬼哭街がちょっとしたマイブーム再来中。
最近、ジムでのトレーニング中にドラマCDをもういっぺん引っ張りだして聞いてるせいかもしれない。

CDという特性上、地の文がないのが結構制約になっている気がする。特に戦闘描写は地の文での状況説明に依存する所が大きいし、ややこしい説明などは聞くよりは読む方が理解しやすいだろうし。
説明が必要なところはキャラクターの台詞でフォローされているけど、ちょっと説明臭くなるのが否めない。しょうがないっちゃしょうがないけど。

それでも声がついてるのはいい。兄様の絞り出すような慟哭とか。ルイリーに対して優しげに語りかける台詞も、声がつくとますますヤンデレっぷりに磨きがかかって大変よし。兄様への思いが暴走しちゃったルイリーの「兄様だったらいいの。ううん、そうしてほしいの。ルイリは昔から、兄様にそうしてほしかったの」の辺りは不覚にも萌えた。

シナリオはわりと大幅に変わっているけど、これはこれで中々GOOD。唯一Hシーンのあった媽祖とベネトナシュの扱いとか上手い事リメイクされていたし。ちなみにラースヤの空気っぷりはオリジナルとどっこいどっこいだった気がする。

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過去編の大学に関する考察と妄想

ブラスレ本、一時はどうなることかと思ったが、どうやら書きたい話の構造が見えてきた。このまま妄想力が一人歩きしてくれれば何とか育ちそうだ。

過去編は色々突っ込みどころが多い回なので、原作に準拠しようとしたらとんでもない事になりそうな部分が多すぎるが、それを逆手に取って捏造やら独自設定やらを積み重ねて行けば面白い事になりそうだ。
ザーギンとサーシャの在籍していた大学は、ツヴェルフの息のかかった機関であることは本編でも仄めかされていた。あるいは、変貌する直前のザーギンがヴィクターに連れられて謎の仰々しい扉に入っていったところから見て、表向きは大学に偽装されたツヴェルフの研究機関が隠されているのか。そういやヴィクターはあのとき「所長」と呼ばれていたけど、何の所長だったんだろうか。
地上部分は大学だけど、地下深くにツヴェルフの研究機関が隠されてたりして。って、バイオハザードかい。映画版一作目の。ザーギンが入っていった扉とか、一度死んだサーシャがサイボーグとなって蘇生させられたのもそれで説明がつく。
あと、14話でザーギンやサーシャが収容された病院は大学に付属する病院と見ていいんだろうか。それが一番自然な気がするし。ほかにも武装した警備員が居たこと、ガルムがすぐに出てきたことを見れば、ただの大学でなかった可能性は高い。
…いや、あのときのガルムは色々と唐突というか不自然なとこ多いけどさ。「これでザーギンを追え」とか、一体どっから出したのとか。

けど今はあの町と大学はどうなってるのだろうか。
ジョセフの育った教会は過去編で焼き討ちにあった後、異民も町の方に移ってたから現在は無人だったようだけど、大学にあったツヴェルフの研究機関はどうなってるんだろう。
既に引き払った後なのか、あるいは現在も密かに研究を続けているのか。

位置関係と地名に関する考察

細かい情報の確認の為に本編をじっくり見直しているが、町や施設などの位置関係がどうにもよく分からない。
XAT本部のある町とジョセフの育った教会はどのぐらい離れているのかとか、更にそこからツヴェルフまではどんな位置関係になっているのかとか。
というかこれらの町の名前がはっきりと出ていない気がする。ツヴェルフ本拠地のある場所は「ベツレヘム実験都市」という地名が出ているのに。だからこれらは「XAT本部のある町」とか「ジョセフの育った教会のある町」とか呼ぶしかない。
そもそもよく考えてみると、ジョセフの育った教会とザーギンやサーシャの居た大学の位置関係も謎である。教会は町から離れた場所に位置するようだけど、大学はあの町の近くにあったのか、それとも別な所にあったのか、それすらも謎である。13話で出てきた橋に、14話でサーシャやザーギンが来ている様子があるから、そんなに離れた位置にあるわけではないと思うけど。

そもそもツヴェルフ基地からツェッペリン空軍基地までアポカリプスナイツでも多少の時間がかかるはずなのに、バーサーカージョセフのガルム改がすぐ追いついてたけど、空中を移動するガルム改はアポナイツ並みの移動速度を出せるんだろうか。

ちらっと出てきたところでは9話のヘルマンの台詞「クロムバッハー街の126番地(覗き屋のアパートの場所)」とか、13話のジョセフの台詞「イェーバー川が氾濫し大洪水が起こった(屋台を突き落とした川?)」、15話のヴィクターの台詞「ビットブルガー市に引き続き東地区でも融合体の大量発生が起こっている」などを確認している。ビットブルガー市というのがXAT本部のあった町の名前である可能性が高いが、確証が持てない。
なお、これらの地名でぐぐってみるとビールの名前が出てきた。元ネタはドイツのビールの銘柄なのだろうか。

1月にブラスレ本を出す予定です

現在、来年の1月シティに向けて、ブラスレ本出そうかと計画中です。

退路を断つ為と、自分の中での方向性の確認を兼ねて、現段階での本の概要をまとめてみました。
あくまで予定である為、この内容の通りの本が出来上がるかどうかは分かりません。
というかちゃんと書き上げられるのだろうか…

◆内容
「ザーギンの側に行ってしまったマレクをジョセフが引き戻そうとする話」

◆コンセプト
・マレクルートに分岐した本編パラレル
・ザーギン、ジョセフ、マレクがいかに動いたか
・マレクの「不安定さ」「危うい色気」

最初の段階では「シナリオ重視で全年齢向けやおい無し」の予定でしたが、それだと砂糖の入ってないおはぎの如く、読むほうも書く方も味気なくなりそうだったので、萌えだけは忘れないようにしたいと思います。

同人活動を始めた理由

女性向けでは特に顕著な傾向だが、よく「同人活動の理由は原作への愛」と言われている。
確かにそれは最も重要な要素であるとは思うが、それゆえキャラへの惚れ込みこそが同人活動の前提の全てであるかのように言われることがあるように思える。だが果たして本当にそれだけが最優先事項なのだろうか。

元々、私が二次SSを書き始めた理由というのは、ただそれが楽しそうだったからということに他ならない。
自分は投稿場所提供者として、ブラスレ801が出来た当初から付随するコミュニティに参加していた。だがしかし、それだけでは何とも言えない疎外感のようなものを感じていたのも確かである。彼らと同じ立場に、つまり自分も何らかの形で発表する立場になってこそ、初めて彼らと同じように楽しめるようになるのではないか。そう考えたのがきっかけである。
だから、自分の場合は、キャラ萌えが嵩じて二次創作に走ったとするのは違和感がある。キャラクターに対する愛着や萌えは、書き上げる段階で獲得したものだとも言えるからだ。書いてみる事で、自分の中にキャラ萌えの概念を取り入れたと言ってもいい。
だがそれはオリジナルへの愛着に欠けるということには成り得ないと思っている。順序が違っただけで、結果的にはキャラに対する萌えやら愛着やらを獲得しているからだ。

あるいは書くことで、自分が何に対して萌えているのかを確立したいのかもしれない。自分は元々、自発的に何かに対して萌える力が弱いため、特定のジャンルの二次にハマるときは、誰かの言った事、誰かの書いた物に引っ張られているだけで終わることも少なくない。しかし自発的に何かを書くということは、自分の中でもそれが何なのか確立している必要があるし、書くことで必然的に固まることになるからだ。

眼鏡は本体

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続・殺戮のジャンゴのリリィ姐さんは、帽子とメガネがないとなんだか締まらないということに気がついた。というかそのどちらかが欠けていると、誰だか分からなくなる。本編中のお風呂シーンでも誰やねん状態だったし。

…これはあれか、眼鏡キャラは眼鏡が本体であるということを裏付ける根拠となるのだろうか? この場合は帽子キャラでもあるけれど。

自分が二次創作をする理由

二次創作というのは、作品解釈を突き詰めて凝縮した結果なんだろうなと思った。
書き手がそのキャラをどう解釈しているのか、それを分析し、解釈した結果を発表することが、作ったものを発表することの目的であり、書く上で重要になってくるのかもしれない。原作をしっかり読み込んで、キャラの行動原理を徹底的に解析して原作に沿った話を作るにせよ、同人的な「萌え」フィルターを通すにせよ、書き手の願望を載せまくるにせよ。

何かを書く時は、そこを基準にしていけば、とても納得の行く形になりそうな気がする。多分。
自分にとってはいかに良い物が出来るか、いかに面白く書けるかも結構重要な目標ではあるけれど、それだけに拘泥していては、主軸を見失い暗礁に乗り上げることになる。上手く書きたいという自己顕示欲に囚われて、判断力が狂ったり独りよがりな方向の自己満足に陥ってしまったりするからね。
何が最良かを追求していけば、必然的に一番しっくりくる形に辿り着くことになるだろう。それが良い物であると私は思う。

BLASSREITER-genetic

を読んだ。漫画版。

なんつーか、訳の分からない行動原理なキャラばっかり出てくる。明後日の方向だという意味で。
子宮で宇宙創る宣言しちゃうレインも凄いけど、ティオ一筋なガチホモショタとか、刺激を求めるボンテージ幼女とか凄すぎるw
好きとか嫌いとか、そんな判断基準など軽く超越した、もっと認識不能なものの片鱗を見た気がする。

いや、レインとかはまだ分かりやすいか。2巻でベアトリスも言ってたけど、自己愛が増幅した人間。
親でも親友扱いした相手でも極端に見下してるとか、自分の好きな者でも、思い通りにならなければ即座に破壊して捨てるとか、自己愛性人格障害そのものなキャラ。そんな人間が自分の望みを叶えられる力を手に入れちゃったらどうなるか、という話。

あと、意味もなく裸が出まくる。おっぱいとバイオレンスのバーゲンセールである。
だけど全然萌えねぇ。特にレインさんに至ってはどう見てもただの露出狂です。本当にありがとうございました。

ストーリーに関しては、肝心なところで甘いのが御都合主義に拍車を掛けている気がする。キャラがとっくに死んでいてもおかしくないような状況でも助かったり、勝てそうにない相手に根拠がはっきりしないまま勝ったり。
アニメ本編の容赦ない展開に比べてしまうと、どうしてもそこが甘い気がする。

だけど一番わけわからんのは、なんでスノウがなんでティオ君にあんなに熱上げてるかです先生。何故あの文脈で「恋の痛み」が出てくるのかがわかりません。お前ジョセフが好きなんじゃなかったんかい。
赦しをもたらしてくれたのを、恋と勘違いしてのぼせ上がってるとかだろうか。

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