1月にブラスレ本を出す予定です

現在、来年の1月シティに向けて、ブラスレ本出そうかと計画中です。

退路を断つ為と、自分の中での方向性の確認を兼ねて、現段階での本の概要をまとめてみました。
あくまで予定である為、この内容の通りの本が出来上がるかどうかは分かりません。
というかちゃんと書き上げられるのだろうか…

◆内容
「ザーギンの側に行ってしまったマレクをジョセフが引き戻そうとする話」

◆コンセプト
・マレクルートに分岐した本編パラレル
・ザーギン、ジョセフ、マレクがいかに動いたか
・マレクの「不安定さ」「危うい色気」

最初の段階では「シナリオ重視で全年齢向けやおい無し」の予定でしたが、それだと砂糖の入ってないおはぎの如く、読むほうも書く方も味気なくなりそうだったので、萌えだけは忘れないようにしたいと思います。

同人活動を始めた理由

女性向けでは特に顕著な傾向だが、よく「同人活動の理由は原作への愛」と言われている。
確かにそれは最も重要な要素であるとは思うが、それゆえキャラへの惚れ込みこそが同人活動の前提の全てであるかのように言われることがあるように思える。だが果たして本当にそれだけが最優先事項なのだろうか。

元々、私が二次SSを書き始めた理由というのは、ただそれが楽しそうだったからということに他ならない。
自分は投稿場所提供者として、ブラスレ801が出来た当初から付随するコミュニティに参加していた。だがしかし、それだけでは何とも言えない疎外感のようなものを感じていたのも確かである。彼らと同じ立場に、つまり自分も何らかの形で発表する立場になってこそ、初めて彼らと同じように楽しめるようになるのではないか。そう考えたのがきっかけである。
だから、自分の場合は、キャラ萌えが嵩じて二次創作に走ったとするのは違和感がある。キャラクターに対する愛着や萌えは、書き上げる段階で獲得したものだとも言えるからだ。書いてみる事で、自分の中にキャラ萌えの概念を取り入れたと言ってもいい。
だがそれはオリジナルへの愛着に欠けるということには成り得ないと思っている。順序が違っただけで、結果的にはキャラに対する萌えやら愛着やらを獲得しているからだ。

あるいは書くことで、自分が何に対して萌えているのかを確立したいのかもしれない。自分は元々、自発的に何かに対して萌える力が弱いため、特定のジャンルの二次にハマるときは、誰かの言った事、誰かの書いた物に引っ張られているだけで終わることも少なくない。しかし自発的に何かを書くということは、自分の中でもそれが何なのか確立している必要があるし、書くことで必然的に固まることになるからだ。

自分が二次創作をする理由

二次創作というのは、作品解釈を突き詰めて凝縮した結果なんだろうなと思った。
書き手がそのキャラをどう解釈しているのか、それを分析し、解釈した結果を発表することが、作ったものを発表することの目的であり、書く上で重要になってくるのかもしれない。原作をしっかり読み込んで、キャラの行動原理を徹底的に解析して原作に沿った話を作るにせよ、同人的な「萌え」フィルターを通すにせよ、書き手の願望を載せまくるにせよ。

何かを書く時は、そこを基準にしていけば、とても納得の行く形になりそうな気がする。多分。
自分にとってはいかに良い物が出来るか、いかに面白く書けるかも結構重要な目標ではあるけれど、それだけに拘泥していては、主軸を見失い暗礁に乗り上げることになる。上手く書きたいという自己顕示欲に囚われて、判断力が狂ったり独りよがりな方向の自己満足に陥ってしまったりするからね。
何が最良かを追求していけば、必然的に一番しっくりくる形に辿り着くことになるだろう。それが良い物であると私は思う。

可愛い子ほど虐めたい

どうやら私の中には「可愛い子ほどめちゃめちゃにして泣かしてやりたくなる」という嗜好があるらしい。
もちろん現実の話ではない。二次元のキャラの話である。
沙耶の唄」で沙耶に脳をいじられた鈴見が沙耶を襲った時、「可愛いからだよ! いじめたくなるほど可愛くて、壊したくなるほど綺麗だからだよ!」と言い、沙耶の泣き叫ぶ姿に淘然となっていたが、今の私には彼の気持ちがよく分かる。あれ書いた時の虚淵さんの中にもそういった欲望があったのだろうか。

繰り返し言うが、これはあくまでも二次元の上での話である。
私に実在する女の子や少年をどうこうしたいという思いは更々ないし、そもそも実際にやったら犯罪である。というかできないしね。
なので、これをお読みになる諸兄諸姉はそのへんよくご理解いただきたい。

で、結局何が言いたいかというと。
マレク泣かせたいよマレク。
沙耶かわいいよ沙耶。
である。以上。