悔恨

 
 赤く染まった視界の中、白目を剥いてひっくり返った目玉が大映しになる。握りつぶされて変形した顔の、眼窩から飛び出さんばかりに大きく剥かれた目は、自分の頭を握りつぶす手から目をそらすように妙な方向を向いているが、その実何も映してはいない。頭を握りつぶす手は血と脳漿にまみれている。その手を通して生暖かい血と潰れた肉の感触が伝わってくる。伝わってくるのはこれが自分の手だから。そこまで認識した時、墜落するような衝撃が走り、唐突に現実に引き戻された。

「ひぃ……はぁ……はぁ……」
 そしてマレクは目を覚ました。身体は小刻みに震え、四肢は強張っている。強張って思うように動かせない身体を無理矢理動かして起き上がり、辺りを見回す。
 そこは残骸となった教会の中だった。屋根や壁は破れ、床には塵芥や虫の死骸がそこかしこに転がり、荒れ放題に荒れた廃墟ではあるが、何とか雨風を凌げる場所として、さしあたりの借宿に選んだ場所だ。辺りは相変わらず暗いが、外の雨はもう小降りになっているようで、雨の音も弱い。マレクが寝入ってから随分と時間が経ったようだ。
 マレクが自分の目の前にある長椅子の上に目をやると、横たわるジョセフの姿が目に入った。先ほどまでは苦痛に魘されていたようだったが、今では落ち着いたのか安らかな寝息をたてて眠っている。
 あんな夢を見た後でもう一度眠る気になれず、マレクは未だ強張りの残る身体を引きずって、ジョセフのすぐ側まで移動すると、傍らに座り込み、彼の顔を覗き込んだ。
 ジョセフは相変わらずすやすやと眠っていたが、マレクが床に腰を降ろした時、気配とかすかな物音を感じたのか、目を覚ました。
「眠れないのか…」
「ごめん、起こしたかな」
 その後しばらく沈黙が続いた。ジョセフは相変わらず、マレクの顔をじっと見ている。なんとなく全てを見透かされているようで居心地が悪くなり、目線をそらすとジョセフの枕元に腕を組んで顔を伏せた。
「夢を見るんだ…。自分が殺した奴らの姿が、自分が奴らを殺す瞬間が、目の前に浮かんでくる。何度も、何度も…」
 しばらくそうしていた後、沈黙を破ってマレクが呟くように口を開いた。相変わらず顔は伏せられたままだ。
「あいつらの恐怖と痛みに歪んだ顔が頭の中から離れない。あいつらの血の匂いが鼻から消えない。あいつらの暖かくて柔らかい心臓を握りつぶした感触が指から離れないんだ。ヨハンの仇なのに、ヨハンを殺した憎い奴らだから、死んで当然のはずなのに、殺せていい気味なはずなのに、なのに、なのに…」
 そこで一度言葉を切ると顔を上げ、喉の奥から絞り出すかのような声でマレクは叫んだ。
「なんでこんなに苦しくなるんだよ!?なんでこんなに体が震えてくるんだよ!? どうして吐きそうなほど気持ちが悪いのか分からない。こんなのないよ。こんなの嫌だよ。助けて、助けてよ、ジョセフ…」
 最後の呟きは涙声に取って代わり、廃墟の中にはマレクの啜り泣く声だけが響き渡る。そこに居るのは、自分の影に怯え、泣きじゃくるただ一人の子どもだった。ジョセフはそんなマレクを静かな眼差しで見つめていた。
「言ったはずだ、本当の苦しみはそこから始まると」
 マレクの目を真っすぐに見据えながら、ジョセフが静かに告げた。その目には深い哀しみの色がたたえられている。
「誰かを傷つけるということは、自分の中に誰かを傷つけたいという負の欲求を抱え込むということだ…。そしてその衝動を知ったとき、人は自分の中に潜む悪魔の姿を、真正面から突きつけられることになる」
「じゃあ何であいつらは平気でいられたんだよ!? ヨハンを殺したも同然なのに! そんなのおかしすぎる!」
 今度は激昂とともに、血を吐くような叫びがマレクの口から発せられる。相変わらずマレクの目を見つめながら、ジョセフは静かに答えた。
「自分の中にある破壊衝動に耐えられなくなった時、人は悪魔の奴隷に成り下がる。そうなればもう、誰かを傷つけても痛みは感じないし、逆に愉悦すら感じるようになる。だがそれではもう、堕ちたも同然だ…」
 マレクは相変わらずしゃくりあげながら泣いている。ジョセフは一度言葉を切ると手を伸ばし、痛みに震える手でマレクの眦に浮かぶ涙を拭ってやりながら続けた。
「攻撃衝動は誰もが持っている。ただ、それが表に出る機会があるとは限らないだけだ。ブラスレイターの力は人間の持つ攻撃への欲望を引き出す。それも最高の効率と、最悪の形をもって。
 マレク、お前は、そんなものを抱え込むべきじゃなかった、なかったんだ…」
 最後はジョセフの声は痛み以外のものに震えて掠れていた。しばらくの間、二人とも無言のままで時間が過ぎる。聞こえてくるのはマレクが途切れ途切れに漏らす押し殺したような嗚咽と、時折焚き火のはぜるパチパチという音だけだった。
「じゃあ…ひっく…僕は、どうしたら…えぐっ…いいんだよ…ひっく、ひっく…」
 やがて沈黙を破り、マレクが嗚咽混じりの声で問う。
「今は耐えろ、耐えるしか無いんだ。自分の内なる闇を受け入れられるようになるまで。自分の中の悪魔を、飼いならせるようになるまで…」

 泣き疲れて自分の横で眠り込むマレクを見ながら、ジョセフは一人思い悩んでいた。
 (俺に関わらなければ、マレクはこんなことにはならなかったんじゃないのか。俺があのとき、すぐさまあの場所から立ち去っていれば…)
 彼等は二人一緒にコートにくるまるようにして横たわっていた。狭い長椅子の上では、自然と寄り添って眠る形となるため、ジョセフには服越しにマレクの体温を感じていた。
 (いや、そもそもマレクの前に姿を現していなければ、マレクはこんな罪を負う事も、苦しむ事もなかったんじゃないのか?)
 すべては可能性の話にすぎない。過去の事を今更どうこう考えても、それで何かが変わるわけではない。だが現実に、この少年は自分の為した事に怯え、罪の重さに苦しんでいる。
 ジョセフの腕の中に抱き込まれるようにして眠るマレクの寝顔は苦しげで、魘されているのか時折しゃくり上げるようなうめき声をあげ、その肩がぴくりと震えた。
「許してくれ…マレク」
 ジョセフの独白のような悔恨の言葉にも、マレクは反応する事なく眠り続けている。今もなお夢の中で泣いているのだろう。だがジョセフにはどうしてやることもできない。己の罪から、己の苦しみから自分を救えるのは、マレク自身しか居ないからだ。ただこうして傍らにいて、見守る以外には、ジョセフには何もしてやれることはない。

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