裁きの紋章

 
 マレク・ウェルナーは暗闇の中にいた。
 肉体の傷はとうに癒えてはいたが、彼の意識は目覚めを拒んでいた。目覚めれば否が応でも認識することになるからだ。自分が奪った命の事を。自分が犯した罪の事を。
 そこから逃れたいが故に、マレクは眠り続けた。全てを拒み、自らの意識を暗闇の中に閉じ込め続けていた。故にここでは何も聞こえず何も見えない、筈だった。
 だがそれでも彼は逃れることはできなかった。夢の中でもなお、それは彼の前に繰り返し現れた。彼が殺した者達の、無惨に捻り潰された死体が、断末魔の悲鳴が、血に汚れた己の手が。
 いっそあの時、死んでしまえていたならどんなに良かったかとマレクは思った。あの時、逃げ込んだ先の教会に現れたあの男に殺されていたのなら、今もなお悪夢に苛まされることはなかったのにと。
『マレク』
 何も聞こえるはずの無い暗闇の中で、マレクは自分の名を呼ぶ声を聞いた。その声は彼の心に直接聞こえてきた。
「誰? 僕の名前を呼ぶのは」
 だがその声と気配には確かに覚えがあった。間違えるはずもない。昏睡状態に陥る前にマレクとジョセフの前に現れ、彼らを完膚無きまでに叩きのめした金髪の男だ。確かザーギンとか呼ばれていた。
「そうだ、確かあの時の……貴方は一体何なの? 僕に何の用があるの?」
『君を起こしに来た。目を覚ましたまえ。君には君のやるべきことがある』
「嫌だ……もう何も見たくないし、何も聞きたくない」
 マレクは耳を塞ぎ、目を閉じようとした。だが目を閉じても目の前に広がる闇はそのままで、耳を塞いでも声は変わらぬ大きさと明瞭さで聞こえてくる。
『このまま眠っていては、君はこれから連れて行かれる場所で、格好の実験体として扱われることになる。人として扱われる事などまず望めない』
「僕はそれだけの事をしたんだ。もう何をされたって文句を言う資格なんてないよ」
 うずくまったままマレクは応えた。すると、闇の中からため息まじりの声が聞こえてきた。
『やれやれ……それで罰を受けているつもりか。仮初めの死に身をやつして、何も見えず、何も聞こえない振りをして、君はそれで自分を裁いたつもりでいるのかな?』
 心底呆れたような口調だった。姿は見えずとも、肩をすくめている様が思い浮かぶようだ。その物言いにマレクはむっとしたような口調で問う。
「……何が言いたいんだよ」
『その絶望を、その怒りを、何故然るべき相手にぶつけない。君も、ジョセフも、何故与えられた力を正しく使おうとしないのか』
 ジョセフの名前を聞いた時、マレクがはっとしたような表情を浮かべた。ようやく探し求めていた答えを見つけたような、そんな表情が。それに気付いてか気付かずにいてか、ザーギンは語り続ける。
『君の力は、世界をあるべき姿に変える為に、神より授かった力だ。贖罪を望むのであれば、その力を正しく使うべきではないのかな?』
 沈黙がその場を支配した。だがザーギンの気配が消えたわけではない。マレクの反応を待っているようだ。
 やがてマレクの方が沈黙を破り、呟いた。自分に語りかけるように。
「分かったよ……僕が何をするべきなのか」
『そうか。君なら答えを見つけると思っていたよ』
 闇の中からザーギンの声が響く。
『君がいる場所から北東に200キロほど行った所に、四方を山に囲まれた小さな村がある。その村の南側の外れの森の中に火事で焼け落ちた小さな教会がある。ジョセフはそこに行くはずだ。あとは分かるかな?』
「ああ」
『では、目覚めるがいい。為すべき事を成し遂げる為に』

※続きは本で