幼い頃、私はここではない他の世界に行きたかった。自分が存在する現実の世界とは違うところを、自由自在に飛び回りたかった。
それが不可能だと分かった時、私は夢の世界にそれを求めた。せめて夢の中だけでも自由自在に飛び回って遊びたかった。
それゆえ私は夜寝る前に、私の理想とする夢を見ようと強く望んだ。寝る前には見たい夢を強く思い描き、いい夢を見ることができた日は嬉しくて、起きてからも何度も思い返した。
特に空を飛ぶ夢が理想的な夢だった。そのためか、今でも飛ぶ夢はよく見るし、夢の中で飛ぶのは得意だ。

中高生になり、小説を書くようになってからは物語の世界にそれを求めた。最初に書いた小説は、主人公が夢の世界を彷徨い戦う話。それゆえ唯々楽しかった。
夢の世界は常識や世界の法則からは解放された自由な世界。自分の思い通りにならない世界ではあるけれど、何があってもおかしくない世界。それゆえ私には希望足り得た。

あれから幾年月が流れ、私を構成する情報もあの頃とは全く様変わりした今、夢を見る事を強く望む事はなくなった。夢への憧れを忘れた私が最初に書いた二次創作は夢の世界の話で、それを現実から解放された世界への憧れが私の中に根強く残っていた為とするのはこじつけだろうか。

自分が二次創作をする理由

二次創作というのは、作品解釈を突き詰めて凝縮した結果なんだろうなと思った。
書き手がそのキャラをどう解釈しているのか、それを分析し、解釈した結果を発表することが、作ったものを発表することの目的であり、書く上で重要になってくるのかもしれない。原作をしっかり読み込んで、キャラの行動原理を徹底的に解析して原作に沿った話を作るにせよ、同人的な「萌え」フィルターを通すにせよ、書き手の願望を載せまくるにせよ。

何かを書く時は、そこを基準にしていけば、とても納得の行く形になりそうな気がする。多分。
自分にとってはいかに良い物が出来るか、いかに面白く書けるかも結構重要な目標ではあるけれど、それだけに拘泥していては、主軸を見失い暗礁に乗り上げることになる。上手く書きたいという自己顕示欲に囚われて、判断力が狂ったり独りよがりな方向の自己満足に陥ってしまったりするからね。
何が最良かを追求していけば、必然的に一番しっくりくる形に辿り着くことになるだろう。それが良い物であると私は思う。

可愛い子ほど虐めたい

どうやら私の中には「可愛い子ほどめちゃめちゃにして泣かしてやりたくなる」という嗜好があるらしい。
もちろん現実の話ではない。二次元のキャラの話である。
沙耶の唄」で沙耶に脳をいじられた鈴見が沙耶を襲った時、「可愛いからだよ! いじめたくなるほど可愛くて、壊したくなるほど綺麗だからだよ!」と言い、沙耶の泣き叫ぶ姿に淘然となっていたが、今の私には彼の気持ちがよく分かる。あれ書いた時の虚淵さんの中にもそういった欲望があったのだろうか。

繰り返し言うが、これはあくまでも二次元の上での話である。
私に実在する女の子や少年をどうこうしたいという思いは更々ないし、そもそも実際にやったら犯罪である。というかできないしね。
なので、これをお読みになる諸兄諸姉はそのへんよくご理解いただきたい。

で、結局何が言いたいかというと。
マレク泣かせたいよマレク。
沙耶かわいいよ沙耶。
である。以上。