妊娠ネタをまともに書いてない理由を考える

手軽に投稿出来るtwitterに慣れてしまったせいか、こっちのブログでつらつら語りを垂れ流すことがめっきり減ってしまった。
文章としての流れとか構造とか一切考えずに断片的に小出しにしていくわけだから、思いついたことを思いついたはしから余さずポンポン出していけるというのはブログにはない利点かもしれない。ブログとか日記とかだとある程度の長さと内容のある文章を書かないといけない気がしてしまうからなわけだが。元々はそのために始めたようなものだし、サイトのコンテンツの一つという位置づけで設置しているからには、ある程度は読み応えのある文章書いた方がいいだろうということで。
とはいえ更新されるのはtwitterばかりで、思い出したようにオフライン情報だけ告知するというのも、本来の使い方では無い気がするので呟きの場をこっちに移してみる。考察でも何でも無い、ただの自分語りの呟きの長文バージョンではあるが、twitterで垂れ流すにはどうにも長くなりそうなのでこっちでやる。

孕ませが好きだ好きだと言う割に、ちゃんと「妊娠」させている話を書いたことが無いことに気がついた。以前このブログでも、この記事とかこの記事で妄想を垂れ流したことはあったと思うが、SSとして書いたことが一度も無い。その理由を考えてみた。
妊娠ネタは好きなんだけど、子どもが生まれた後というのはかなり微妙なところな気がする。なにせ生まれてからは一つの個体であるわけだし、成長して自意識を持てば一人の個人になるわけだから。そうなるとどうしたってオリキャラとして定義することからは避けられなくなるわけで。その辺りがいまいち踏み切れない理由なのではないかと考えた。

自分は別にオリキャラの出てくる話は嫌いじゃないし、それで魅力的な話になるのであれば読むのはむしろ好きな方ではあるが、自分が今それを書きたいと思うかと言えばそうではない。
自分が萌えていたのは「ジョセフ孕ませる」という行為であり、その結果として生まれてくるキャラクターとしての「ザージョセの子ども」をどうするかではなかったというわけだ。早い話が「孕ませる」という行為さえ出来てしまえば、自分はそれで満足してしまうんじゃないだろうかと思う。無責任極まりない思考のような気はするが。

だからまあ、そう考えるとその時の自分が湧いた頭から「小さいデモニアックがB級映画のクリーチャーよろしくジョセフの腹喰い破って出てくる」という発想が出てきてしまっていたのはある意味自然なことだったのかもしれない。クリーチャーであれば人格も持ち得ないからキャラクターにはなり得ない。そんなに自分はオリキャラ作りを避けたかったのかとも思ったが、敵対中の今ザージョセが仲良く子育てなんてしている姿をどうしても想像できなかったというのも大きいような気がする。そう言い訳して強引に結論と為すことにする。